なべたよこあな 鍋田横穴群第27号墓
- 所在
- 山鹿市鍋田
(現地で見学可能)
- 時期
- 7世紀
本館の中心的な展示スペースです。県内の主要な装飾古墳の実物大の精密なレプリカを作り、出土した副葬品などとともに展示しています。実物の装飾古墳は保存のため見学が制限されている場合が多いですが、装飾古墳室ではこれらを比較しながらじっくり観察することができます。
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鍋田横穴群第27号墓 (なべたよこあなぐん)
6世紀に造られた横穴墓群のひとつで、久留米藩士矢野一貞の「筑後将士郡談」でも紹介され、古くから知られていました。
矢野一貞のスケッチには現在失われた装飾文様が描かれ、貴重な資料となっています。
全面を赤色で彩色しています。肥後古代の森山鹿地区で屋外露天公開中です。
鴨籠古墳石棺 (かもごこふんせきかん)
宇城市不知火町にある鴨籠古墳に収められていた、遺体を納める石棺です。石室自体に装飾はなく、石棺に装飾されています。この古墳は5世紀後半頃に造られた直径25mの円墳で、石棺は阿蘇の凝灰岩をくり抜いて作られています。多くの直線と弧線で表現する直弧文が石棺の屋根全体に描かれています。直弧文を描くことで悪霊の侵入を防ぐという意味があったようです。かつては赤色で塗られていたようです。また、頭を置くための石枕が石棺の中に削り出されています。
※実物の鴨籠石棺は県立美術館に実物が展示されています。
井寺古墳 (いでらこふん)
※上記 写真をスワイフ操作で360度お楽しみいただけます。
井寺古墳は、嘉島町にある国史跡の装飾古墳です。6世紀初め頃に造られたと考えられています。また京都帝国大学の濱田耕作先生が、古墳の装飾文様を直弧文と命名したことでも知られています。
鴨籠古墳やこの井寺古墳で描かれている直弧文は、直線と弧線を組み合わせた日本独特の幾何学文様です。また、古墳内は赤や白で装飾されており、このうち赤い塗料は古代の絵具の一つ「ベンガラ」で、鉄分を多く含んだ黄色い土を焼いて作られました。古墳は直径約30メートルのドーム形の円墳です。積み上げてある石室の石はすべて阿蘇の凝灰岩です。その中でもピンク色をした馬門石が使われていますが、奈良県や大阪府の古墳に収められている大王の棺と同じ素材であることが注目されています。石室内部には直弧文のほか、同心円と呼ばれる丸い円の装飾文様が確認できます。
※実物の井寺古墳は平成28年4月の熊本地震以降公開していません。
小田良古墳 (おだらこふん)
小田良古墳は、宇城市三角町にある、国史跡に指定されている装飾古墳です。
井寺古墳より古く、5世紀中頃に造られたと考えられており、砂岩製の石を使って石室が築かれています。元々は平たい石を積み重ねてドーム形の屋根が付いていたのですが、江戸時代の大津波で壊されたとの言い伝えがあります。描かれた絵柄は、盾や弓矢を入れたゆぎ、鏡を表現した円文で、奥壁ではそれらを左右対称になるように配置し、他の壁では円文を均等に配置しています。また、仕切りで3つに分けてあるのは、一人用ではなく複数人を埋葬していたためと考えられています。この古墳は現在埋め戻されています。
装飾古墳は八代海沿岸で造られ始め、その後、熊本平野や菊池川流域にも広まったと考えられていますが、この装飾文様は、八代海沿岸の装飾古墳と菊池川流域の装飾古墳をつなぐ特徴があり、とても重要です。
※実物の小田良古墳は現地で埋め戻して保存されています。
千金甲1号古墳 (せごんこう)
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千金甲古墳は熊本市にある装飾古墳で、6世紀初め頃に造られた円墳と考えられます。金峰山の南丘陵の斜面に位置し、丘陵斜面を削った平坦面に築かれています。石室は横穴式石室で、石室内に阿蘇熔岩の切石を四方に巡らせた石障を設置し、その石障内面に装飾を施しています。
彩色を施したもので、横線により区画された石材に、対角線文と同心円文を交互に刻んでいます。コンパスのようなもので刻まれた同心円文は、三重で中心孔が残っており、中心から外側へ向かって、赤・青・黄・赤の順に塗り分けられています。また対角線上には3本の矢を持った靫が彫られています。
大正10年に国史跡に指定されています。
チブサン古墳
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チブサン古墳は、山鹿市にある全長44mの国史跡に指定されている前方後円墳で、6世紀前半頃に造られたと考えられています。この古墳からは円筒埴輪のほかに人をかたどった石人が出土しています。家のような造りの石屋形は石棺の代わりで、ここに遺体を収めていました。正面には赤白黒の色使いで大胆に塗り分けた三角形と円形の文様が描かれています。連続三角文と同心円文です。実はチブサンの名前の由来となったのは、その二つの同心円文が女性の乳房のように見えるからという説もあります。そのため、江戸時代には母乳の出が良くなるようにこの古墳に 甘酒をお供えしたと言われています。石屋形の右の壁には両手を広げた人物が描かれています。王冠を被った人物で、この古墳の主と考えられています。朝鮮半島南部の王冠とも共通する形で、両地域の交流がうかがえます。
実物は山鹿市立博物館にあり、チブサン古墳の一般公開を、開館日の午前10時と午後2時に行っています。
大坊古墳 (だいぼうこふん)
※上記 写真をスワイフ操作で360度お楽しみいただけます。
大坊古墳は玉名市にある装飾古墳です。6世紀前半から中頃にかけて造られた、全長約54mの前方後円墳です。安山岩の積石による横穴式石室で、前室、後室(玄室)の2室からなります。
石室内の扉石、支柱石、内壁、袖石などに、三角文や円文を赤と青で彩色しています。後室の石屋形の奥壁の装飾が特徴的で、5段の区画にそれぞれ三角文を5〜6個ずつ上下互いに向い合せに配列し、2段目と4段目に円文を3個ずつ三角文内に描いています。
この古墳からは大量の副葬品が出土しています。主な遺物として耳環(耳飾り)、 勾玉等の装身具類、直刀、鉄剣、鉄幹等の鉄器、鎧、鞍金具等の馬具類、須恵器、土師器等が出土しています。
昭和52年に国史跡に指定され、現在は定期的に公開されています。この古墳から東約1kmの位置に、国史跡永安寺西古墳と同東古墳があります。
大鼠蔵東麓1号墳 (おおそぞうやま)
砂岩製の箱式石棺の一部とみられます。5世紀代のもので、鎧・靫(ゆぎ)・弓などの具象画が線刻で描かれています。
鎧から、三角鉄片を綴じた短甲の造りがよく判ります。
実物は、八代市立博物館で展示中です。
広浦古墳石材 (ひろうらこふんせきざい)
5世紀前半に造られた古墳の石棺材と考えられています。浮彫で円文・大刀・刀子などを表現しています。
この古墳は現在消滅しています。
残された石材からはかつては全面に赤彩が施されていたとみられ、今でも一部に顔料が残っています。
実物は、熊本県立美術館で展示中です。
弁慶ヶ穴古墳 (べんけいがあなこふん)
※上記 写真をスワイフ操作で360度お楽しみいただけます。
弁慶ケ穴古墳は、山鹿市にある国史跡に指定されている6世紀終わり頃の装飾古墳です。古墳は直径15mの円墳で、巨大な石を積み上げて造った横穴式石室が特徴です。大きさから、この地域を治めていた人物の墓の一つと考えられています。石至の至るところに人物やゴンドラ形の船、馬、鳥、太陽と考えられる同心円文などが描かれています。描かれている船は死後の世界「黄泉の国」へ向う船で、乗せてあるものは棺とも考えられます。棺の中には魂と考えられる赤い点が置かれ、魂を天に運ぶ鳥が棺の上に乗っています。当時の人の死後の世界観が表現されているとする学説で有名です。
また、描かれている連続三角文や円文は熊本県北部の装飾古墳の代表的な絵柄ですが、一方、人物や馬、ゴンドラ形の船は福岡県の装飾古墳によく描かれています。この古墳は熊本と福岡の両地区の装飾文様を取り入れて勇壮なタッチで表現してある素晴らしい装飾古墳です。
永安寺東古墳 (えいあんじひがしこふん)
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永安寺東古墳は、玉名市にある装飾古墳です。7世紀初頭頃に造られた直径13mの円墳で、玉名平野一帯を治めた人物の墓だと考えられています。巨大な石を積み上げて造られた横穴式石室の前の部屋と石屋形に装飾文様が見られます。その絵柄は連続三角文や円文、船等が赤色で表現されています。弁慶ヶ穴古墳と同様、連続三角文と円文、人物と馬とゴンドラ形の船の絵柄は、福岡県の装飾古墳との結びつきの強さを想像させてくれる装飾文様です。さらに、この古墳とそっくりの装飾文様が、茨城県の虎塚古墳にも描かれています。この事が遠く離れた北関東との交流を指すものと考えられます。古代の人々の交流や結び付きを考えさせる古墳です。
大村横穴群11号墳墓 (おおむらよこあな)
球磨川の右岸、JR人吉駅の裏にある6世紀後半頃に造られた装飾横穴墓。
お墓の入口、左右上方に靫(ゆぎ)や刀子、円文などの装飾が浮彫で装飾されています。
当時の人々がこの横穴墓に埋葬された方のために描かれたものです。
菊池川流域を中心に県内の遺跡からの出土品を展示しています。
地階ホールでは、ホール壁面を利用した横穴墓の展示の他、全国の主要装飾古墳の写真パネルも展示しています。また古墳時代の馬や馬具のレプリカがあります。
地階屋外展示では、辻古墳出土の舟形石棺をはじめ、菊池川流域から出土した石棺やレプリカを展示しています。