鞠智城の歴史とは

鞠智城(きくちじょう)とは

当時は、久々知(くくち)の城(き)と呼ばれていました。

1350年前
(飛鳥時代)

中大兄皇子なかのおおえのおうじの命令で
建てられたお城

大化の改新をきっかけに有力豪族による
支配から唐などの制度を基にする天皇を中心とする律令国家を目指した時代に築造された朝鮮半島の山城を模範とする古代山城。

東アジアの政治情勢から、
九州の守りの拠点の
ひとつとして築かれた
基地のひとつ

現在の中国や朝鮮半島にあった
「唐」「新羅」との戦いに備えて西日本に
つくられた古代山城のうちの一つが鞠智城です。

鞠智城の場所は
山鹿市菊池市
またがる丘の上

標高約90m〜171mの丘の上、
遠くまで見渡せる場所にあります。
面積は55h。東京ドーム約12個分もあります。

鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世後半(約1350年前)にヤマト政権が築いた山城です。
663年の「白村江(はくそんこう)の戦い」で大敗したヤマト政権が唐(や新羅)の侵攻に備えて西日本各地に築いた城の一つで、西海道(九州)の
統治の起点となった大宰府もしくは、その前身となった拠点を守るための支援基地と考えられています。
有明海からの侵攻や西海道の南部地域(隼人(はやと)などのヤマト政権(大宰府など)の地域支配の拠点だったと考える説もあります。
『続日本紀(しょくにほんぎ)』など、国の歴史書にもある国の重要遺跡として、平成16年2月27日に国史跡に指定されました。

周囲の長さ3.5km、面積55haの規模をもつ城で、昭和42年度からの県の発掘調査により、
八角形建物跡をはじめとする72棟の建物跡や、貯水池跡、土塁跡など、当時の姿を物語る貴重な
遺構が相次いで発見されています。
こうした発掘調査の成果に基づき、平成6年度から4棟の復元建物
(八角形鼓楼、米倉、兵舎・板倉)をはじめ、
城の立地や規模、構造などを体験的に学習できる歴史公園として整備を進めています。
ガイダンス施設「温故創生館」では、展示や映像により、
鞠智城の歴史や構造について詳しく学ぶことができます。

鞠智城の歴史

約300年の間、鞠智城は役割を変えながら続きました

鞠智城は、東アジア情勢が緊迫した7世紀後半(約1300年前)に、当時の日本を統治していたヤマト政権によって築かれた城です。
その歴史は、当時の国の歴史書からたどることができます。

『続日本紀』 文武天皇二(698)年 五月二十五日条

大宰府をして、大野、基肄、鞠智の三城を
繕治せしむ

※(ヤマト政権が)大宰府に、大野、基肄、鞠智の、3つの城を修理させた。

7世紀頃の日本は中国大陸や朝鮮半島との緊張関係にありました。

663年の朝鮮半島における白村江の戦いで大敗したヤマト政権は、西日本の守りを固めるため各地に山城を築きました。ここ鞠智城は、九州を統治していた大宰府やそれを守るための大野城、基肄城に武器や食糧を送る基地だったと考えられています。

698年に鞠智城も修理されていることから、それ以前に築かれたことがわかります。

『文徳実録』 天安二(858)年 二月二十四日・同二十五日条

「肥後国申す、菊地域院兵庫の鼓が自ら鳴る」・「又鳴」

※菊池城院の兵庫(武器庫Iの鼓(つづみ)がひとりでに鳴った。また鳴った。という報告が肥後国からあった)

7世紀末に「鞠智」と表記されていたのが、平安時代には「菊池」と表記されるようになりました。

『文徳実録』 天安二(858)年 六月二十日条

鞠智城内の長者原地区から出土した炭化米。

「去る五月一日(中略)肥後国菊池城院兵庫の
鼓が自ら鳴る、同城の不動倉十一宇焼ける」

※宇=家のこと

※肥後国の菊池城院の兵庫の鼓がひとりでに鳴り、不動倉(米倉)11棟が火災にあつた。

実際に、八角形鼓楼や米倉などがある長者原地区では、炭化米(焼けた米)が多量に出土しています。この炭化米をもとに「米原長者伝説」が生まれたものと考えられます。

『三代実録』 元慶三(879)年 三月十六日条

整備開始時期の写真です。元は、畑だった箇所を発掘調査をしています。
周りには、畑も広がっています。

「肥後国菊池郡城院の兵庫の戸が自ら鳴る」

※肥後国の菊池郡城院の兵庫の戸がひとりでに鳴った。

「鞠智城」が「菊池城」として文献に登場するようになった後、不思議な出来事が続いたと記されています。一説には、この事件は役人の不正を隠すため物の怪(け)の仕業にしたとも考えられています。

この「三代実録」を最後に、「鞠智城」の姿は歴史書から消えてしまいました。

全国の古代山城

古代山城には、「国書に記載されたもの」と「そうでないもの」があり、前者の11城は「朝鮮式山城」、
後者の16城を「神籠石(こうごいし)系山城」と呼び分けています。

ちょうせんしきやまじろ 朝鮮式山城

朝鮮式山城とは谷を取込むように山の斜面、稜線などに沿って石塁、土塁で作られた山城、要塞のことです。築造様式は三国時代の朝鮮半島にルーツを持つものです。
特に国の歴史書に記載された山城のことを「朝鮮式山城」と呼ぶことがあります。

大野城・福岡県太宰府市
特別史跡
大野城(福岡県太宰府市・大野城市・宇美町)・基肄城(佐賀県基山町・福岡県筑紫野市)・金田城(長崎県対馬市)
国指定史跡
鞠智城・屋嶋城(香川県高松市)※
未指定
高安城(奈良県・大阪府)
所在地未確認
長門城・常城・茨城・稲積城・三野城

※国指定史跡「屋島」の中に、屋嶋城が所在する

こうごいししきやまじろ 神籠石系山城

国の歴史書にない古代山城のことを指します。基底部に石(方形の切石積みなど)を土台として山の斜面や稜線を囲い込んだもので、文献にも記載がないため、神域や祭祀的な役割を持つ施設とも考えられています。しかし、神籠石の発掘調査が進むにつれ、石の上に土塁が築かれたことが判明して古代山城の一種と考えられるようになりました。

おつぼ山神籠石・佐賀県武雄市
国指定史跡
鬼ノ城(岡山県総社市)・大廻小廻(岡山県岡山市)・永納山(愛媛県西条市・今治市)・讃岐城山(香川県坂出市・丸亀市)・石城山(山口県光市)・おつぼ山(佐賀県武雄市)・帯隈山(佐賀県神崎市・佐賀市)・高良山(福岡県久留米市)・女山(福岡県みやま市)・杷木(福岡県朝倉市)・鹿毛馬(福岡県飯塚市)・雷山(福岡県糸島市)・御所ヶ谷(福岡県行橋市・みやこ町)・唐原(福岡県上毛町)・阿志岐(福岡県筑紫野市)
未指定
播磨城山(兵庫県たつの市)

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