菊池川流域の歴史と鞠智城

菊池川流域について

菊池川は、阿蘇外輪山北西部の菊池渓谷に源を発し、菊池、山鹿、玉名を通って、有明海に注いでいます。
山間部から中流域では、古代から洪水が多かったため、土地が肥えて一大穀倉地帯が形成されました。
中流域から下流域にかけてのゆるやかな流れは、水運として盛んに利用されました。
文化や政治の交流が盛んに行われた菊池川流域一帯は、装飾古墳をはじめとする文化財の宝庫です。

菊池川流域図

菊池川流域・鞠智城の歴史

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1

旧石器時代

狩りや採集・漁を中心として生活が営まれた時代です。

このため、狩りなどに使う道具としてナイフ形石器や尖頭(せんとう)器などの石槍(せきそう)が発達しました。鞠智城のある台地では、ナイフ形石器が見つかっています。

遺跡
伊野遺跡(菊池市)、宮野遺跡(菊池市)など。
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2

縄文時代

煮炊きや保存のため素焼きの器、土器が使われ始めた時代です。

狩りのための矢の先につける石鏃(せきぞく)、動物の皮を剥(は)ぐ時に使う石匙(いしさじ)など、道具の種類も増え、定住のための集落もできました。

遺跡
三万田東原遺跡(菊池市)、無田原遺跡(菊池市)、天城遺跡(菊池市)など。
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3

弥生時代

稲作を中心とする生活が営まれるようになった時代です。

青銅製や鉄製の道具が使われはじめ、定住化がすすんだことで、方保田東原遺跡(山鹿市)など、大集落がつくられていきました。

遺跡
方保田東原遺跡(山鹿市)、うてな遺跡(菊池市)、岡田遺跡(菊池市)など。
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4

古墳時代

豪族の墓である古墳が多く造られた時代です。

銀象嵌銘大刀(ぎんぞうがんめいたち)で全国的に有名な江田船山古墳(和水町)、墳丘の長さ107mという大型の前方後円墳の双子塚古墳(山鹿市)、赤・青・白の3色の幾何学模様で有名な装飾古墳であるチブサン古墳(山鹿市)があります。この他にも、菊池川流域では数多くの古墳が見られます。また、阿蘇溶結凝灰岩の崖面を利用した横穴墓も多く、人物や弓などの装飾も見られます。

遺跡
双子塚古墳(山鹿市)、チブサン古墳(山鹿市)、鍋田横穴群(山鹿市)、袈裟尾高塚古墳(菊池市)、木柑子高塚古墳(菊池市)など。

チブサン古墳

チブサン古墳(山鹿市)は、菊池川流域の代表的な装飾古墳です。

岩原横穴墓群

(山鹿市鹿央町)

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5

飛鳥時代・奈良時代・平安時代

律令が制定され、戸籍(こせき)が整うなど中央集権国家として日本の国が整備された時代です。

国・郡という行政区分が定められました。菊池川流域では山鹿郡、菊池郡、合志郡、玉名郡などがおかれ、それぞれに郡家(ぐうけ)という役所が設けられました。鞠智城は菊池郡にありました。

7世紀後半、唐や新羅の侵攻のおそれから、大和朝廷(政権)は大宰府を守るための軍事拠点を九州につくりました。そのひとつ、ここ鞠智城は、支援基地の役割をもっていたと考えられており、県内唯一の古代山城です。

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6

鎌倉時代・室町時代

武士が大きな力をもち政治をおこなう時代です。肥後において大きな力をもったのは菊池氏です。菊池市隈府にある本城のまわりに18の支城を配置し、防衛を固めていました。菊池氏の繁栄も豊かな穀倉地帯をもっていたことが背景にあります。

遺跡
隈部氏館跡(山鹿市)、田中城跡(和水町)、など。
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菊池武光の像

菊池武光の像(菊池市)。菊池武光は南北朝時代に活躍した南朝方の武将です。

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7

江戸時代・近代

水運の要であった菊池川。沿岸の村々から集められた年貢米やその他の物資は、河口の高瀬港(玉名市)から船で積み出されました。高瀬港から積み出された米は大阪へと送られ、米相場の基準となりました。

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高瀬目鏡橋

菊池川の下流に位置する玉名市高瀬地区に残る「高瀬目鏡橋」。江戸時代後期に造られました。

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