水城跡(みずきあと)・福岡県太宰府市、大野城市
水城は『日本書紀』に664年に築いたことが記されている防御施設(土塁)です。厳密には古代山城とは違いますが、築かれた目的は同じです。規模は、高さ10m以上、幅約80m、長さ約1.2kmあります。博多湾側には発掘調査によって幅約60mの外濠が確認されており、水を湛えた防御施設だったことが実際に明らかになりました。この水城には2ヶ所に門があったことが確認されており、門跡からは門礎石が確認されています。また、太宰府側(内側)から外濠に水を供給した施設である木樋(木製の導水管)が水城の内部の4ヶ所から見つかっています。
水城がある場所は、現代でも交通の要衝で、九州自動車道、西鉄電車、国道3号線が重なるように水城と交差しています。ここに水城が築かれた意味も自ずとわかるような気がします。現在は木々に覆われていて高いところから見るとまるでグリーンベルトのようです。水城が築かれた1300年前の動乱の時代にはどのような姿だったのでしょうか。
写真は上から、水城跡遠景、水城跡近景、東門跡門礎石です。